「成果を急がず肯定面を見つける」というのが、長期の引きこもり状態にある家族の相談を受けたとき私が回答する基本です。このなかの「肯定面を見つける」というのは言葉ではわかっても、意味することが一人ずつ違う内容になります。それだけにわかりづらく、間違ってしまうことも多いと思います。
それを意識しないまま相談活動を続けてきたことに気づき、「肯定面を見つける」を理解し説明するために3つの対策をとることにしました。
1つが継続的・組織的なものでそれが「大人の引きこもりを考える教室」の開始です。今年の4月から毎月定例会を開いています。
別に2つのことを考えていますが定着できるかどうかはこれからです。
2つ目は実例をあげて紹介することです。実例なくしてはうまく説明できず、納得してもらえないでしょう。しかし、実例をあげると個人情報につながりかねないので、加工品を紹介するのが限度です。個人情報の関係が関門になります。できれば複数の人の実例から析出したものを紹介するつもりですが、そう都合よくできるのかどうか…。
最後の3つ目は当事者目線、親目線、支援者目線という視点を取り入れることです。決め手は当事者目線の見方かどうかになります。これによって実例解釈を判断しようとするものです。まだ系統的には試みてはいませんので成否は今後にかかります。
1つの実例を取り上げてみます。
「ネットばかりしていますのでやめさせたいのですがどうすればいいのでしょうか」という質問をよく受けます。親の目から見ると引きこもっている子どもはネットにはまっています。そこでネットをやめさせるか、その時間を短くし仕事につく方法を考えるようにしてもらいたいと考えるのです。これが親目線、ときには支援者目線でもあります。
以前に引きこもりでパソコンばかりしていると親から相談を受けたことがあります。私はそのパソコンばかりの生活を親から聞いたとき何かに向かって取り組んでいるように感じて「何かをしていますね」と答えました。相談に来た親は親の会に参加して学ぶようになり、そのうち本人が情報センターに来て数人にパソコンを教えるようになりました。さらにその後、彼はパソコン関係の仕事につきました。やめさせたいと思うほど続けていたパソコンが彼の社会参加の手段になったのです。
何かに熱中している人はそこに社会とつながる材料が隠れているのかもしれません。パソコンへの熱中は否定的な材料ではありません。当事者はそれを肯定的に見られて受入れられると進みやすくなります。紹介した実例を含めて様子はもっと複雑な要素が絡みます。ですがこの点は当事者目線として肯定的なものになるのです。
どんな人であっても人としては肯定面と否定面の両方はあります。立派な活動をしている人も不得手なことをお願いされたら断るしかないでしょう。その人の得意分野を生かして依頼や活躍の場を設けようとするではありませんか。
それと同じことを引きこもりの人に対してもするのです。当然ではないですか。その人のしていることのなかに肯定面を見つけ、そこを次のステップの足がかりにしようとするのです。当事者目線とはここにつながります。同時にそれは現実の自分を肯定することです。これが引きこもりの人を社会につなぐ方法になるものと思います。