大阪維新の会・大阪市議団の「家庭教育支援条例(案)」を見ました。
1980年代の不登校への不適切な相談を思い起こさせるものです。
登校拒否と呼ばれた当時の親たちの相談に対する教育相談室や学校の対応です。
子どもの登校拒否は、親の子育ての失敗として責任を追及されました。
極端なのは子どもが登校しないのは法律違反といって親を攻めたてた行政担当者まで現れました。
このような風潮のなかで、親が不登校の子どもを殺害する、親子ともに自殺するという事件もありました。
1991年に、私が不登校・登校拒否の情報ネットワーク誌『こみゆんと』を発行したのはこの状況が続いていたころのことです。
その状況が発達障害をテーマに再現されるのではないかと懸念します。
しかも同じレベルではなさそうです。
不登校に対して行われた相談員個人の不見識による不適切な対応レベルにとどまりません。
発達障害に対して、行政機関が条例という法律によって、組織的・強制的に進めようというのですから穏やかではありません。組織的に不適切な対応が繰り広げられようとしているのです。
入手した条例案は5月2日現在の未完成のものです。
その15条は(発達障害、虐待等の予防・防止の基本)として「乳幼児期の愛着形成の不足が軽度発達障害またはそれに似た症状を誘発する大きな要因であると指摘され、また、それが虐待、非行、不登校、引きこもり等に深く関与していることに鑑み、その予防・防止をはかる」とされています。これが家庭教育に関する条例であることを忘れてはなりません。
80年代に登校拒否の子どもの相談に行った親も、子育ての責任を攻められましたが、このような法律的な根拠により攻められたのではありません。条例が制定されれば教育相談や心理相談ばかりではなく、法的な違反として“指導”されかねないのです。
第18条は(伝統的子育ての推進)とあり「わが国の伝統的子育てによって発達障害は予防、防止できるものであり、こうした子育ての知恵を学習する機会を親およびこれから親になる人に提供する」といいます。伝統的な子育ての一部を含めて、多様な子育て、家庭教育方法などを考えればいいわけです。それをなぜ伝統的な子育てに限定するのか、そこに復古的な感覚が露呈しています。
第17条に「発達障害課の創設」、第19条に「学際的プロジェクトの推進」とありますが、それが家庭教育にどう関係づけられるのかは条例案では不明です。第22条の「『親守詩』実行委員会の設立による意識啓発」に至っては不勉強ながら意味さえわかりません。情報を掲載された方の入力間違いでなければいいのですが…と思うほどです。
読んでみた感想としては、このような条例案の完成は望みませんし、条例にすることには強く反対します。大阪維新の会の復古的性格を示しているだけではありません。
子どもの成長が社会的環境のなかで困難になっているのを逆手に利用して、非科学的根拠による家庭への強制的な介入をしようとする姿を自ら暴露しています。
維新の会の姿勢への思いはまったく同感です。子育て、不登校、引きこもり等の問題において解決すべき課題を抱えているのは当事者ではなく私たち社会全体です。