入学・就職試験に表わす別物の自分

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先日は高校入学試験のための作文について書きました(2月18日「教育における『作文』」)。不登校体験者を受け入れるチャレンジスクールに入学するために「かつては不登校でしたが、いまは立ち直っています、大丈夫です」という内容の作文を求められ、またそれに“作戦”としてのる生徒の様子を知りました。
先日は、大学生が就職試験の臨むにあたっての履歴書を見せていただきました。大学時代の様子と、自分にできることを精一杯の“作戦”で現わし入社試験の合格をめざしているのです。

両方に通じることは、現実の自分と提出物に書いた自分がだんだん離れていくことです。学生の言葉によると、就職活動で失敗しないためです。その不安から現実の自分とは別物の自分を履歴書で表現しているのです。
受け取って読むほうは、たぶんそれが現実とは違う就職試験用のものであるとわかるでしょう。ですが(はなはな表現が悪いかもしれませんが)担当者としては弁解材料ができたのではないでしょうか。担当者は作文能力の試験をしているのではなく、必要な人材を募集しているです。多くの募集担当者にはその眼力があると期待しておきましょう。
このようは自分とは別物の自分を社会的背景の中で表現しなくてはならない事態が、特に若い世代の中である意味では組織的に広げられていることに気づかなくてはなりません。社会の虚構化が進んでいるといえるのです。
日本人は原子力発電の推進において“安全神話”がつくられていたこと、その虚構にびっくりしているはずなのです。ですがその傍らでは別の虚構が新たに生まれ、肥大化しているのです。少なくともその現場にいる人は気づいています。それがどれだけ大きな意味を持つのかはどうやら気づかないでいるように思えます。
先日、その一つの結果が内閣府(当初、総務省としたのは間違いです)から出されたようです。
それは項を改めてみることにします。

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