等質な人間関係になる情報社会

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3月8日の「引きこもりからの社会参加について」のなかで、情報社会とはインターネットが広く行き渡っているだけではないと書きました。続いて「社会関係、人間関係がフラットな関係(上下関係から等質な並ぶ関係)に移行します」としました。なぜそうなるのかがわからないという質問がありました。それについて書きましょう。

「コモディティ化」というのを聞いたことがあるでしょうか。コモディティというのは日用品というほどの言葉です。私の若いころ卓上電機計算機(電卓)が出回わり始めた時期があり、1台数千円はしました。いつの間にか数百円で買えるようになり、いまでは百円ショップでも買えるそうです。これは電卓のコモディティ化といえます。
いろんなものがコモディティ化します。コモディティ化すると特別の価値がなくなり値崩れが起こります。いろんな種類があっても買い求める基準は“慣れ、とっつきやすさ、付加価値”になってしまいます(佐々木俊尚『ウェブ国産力』アスキー出版、2008年、32ページ)。
最近はパソコンやテレビがコモディティ化しつつあります(している?)。

コモディティ化するのは商品や物品だけではなさそうです。
たとえば大学卒業生(学士といいます)はそのようになっていませんか。学士いう言葉はほとんど死語でほとんど聞くことがありません。ありふれていて特別の価値はなくなるのです。そのうち大学院卒業者もその運命をたどると感じられます。そこで有名大学や難関大学という生き残り言葉が生まれてきます。それらも時間の問題かもしれません。

資格の一部もまたコモディティ化しつつあると思います。いずれそうなるものは少なくないでしょう。コモディティ化する特徴の一つは価値および価格の値崩れです。もっとも値崩れしたもの全てがコモディティ化しているとはいえないはずです。
資格や特別の技能がコモディティ化する背景は商品とは別の要素がありそうです。
大量に存在するというのは共通です。日本のプロ野球はメジャーリーグとの関係(国際化、グローバル化のなかで)で少しコモディティ化しつつあるのかもしれません。

コモディティ化を促進するのに大きな役割を持つのは知識や情報の開示です。衆人がアクセスできる中に知識や情報が置かれることです。情報社会が深化するにつれて特別な知識や情報の独占は崩れます。特別の知識や情報は減り一般化します。それによりコモディティ化が進みます。

これに対抗する動きもあります。社会的地位を独占的に守ろうとするものです。日本医師会は長らく臨床心理士の国家資格化に否定的でした。身体でも精神でも人の健康に関することは医師を頂点にし、そのほかの医療スタッフは医師の指示の下で行なう。それを貫きたかったらしいのです。これが独占のしかたの一つです。制度を設定することで知識と情報を独占するのです。
弁護士もそうかもしれません。しかし司法書士がある分野のことは裁判にかかわるようになりました。国民の裁判員としての参加は別の理由からですが強力に左右するでしょう。
これら一つひとつあげていくときりがありませんので省略します。時代はそれらが一つの大きな流れになって進行しています。しかし、知識や情報だけでは物事は決まらないし動きませんから、事態が一直線に進むのではありません。技術力や社会関係なども付随して変化しないと進みません。
それでも知識や情報が広く知れ渡り、それを独占できないようになると特権的なものは維持できません。知識と情報によるコモディティ化の促進は特権的なものを減少させていきます。

すでにそうなっていながら特別扱いが認められる分野があります。たとえばメジャーリーグのイチロー選手なんかはそうでしょう。スポーツや音楽や美術の天才的な人は認められるでしょう。多くの人が直接に見聞きし、その実力を納得できるからです。情報を衆人の中に開示され、そのうえで認められるのです。そのぶん実力の衰退とともに特別扱いも急激になくなります。引退という制度はそれへの備えになります。
地味な目立たない分野でもそういう特別のものもありそうです。それは否定せずにおきますが、衆人の認める環境条件に置かれてみると特別のものはほとんどなくなってしまうと私には感じられます。

情報社会とはそういう社会であり、人々の関係がフラットになる、等質の横に並ぶ関係になるのはそこを背景にしているものだと思います。等質というのは全く同じというのとは違います。それぞれが個性を最大限に発揮でき、そのうえで人として対等である関係になるのです。人それぞれの自由な成長・展開が全体的な発達に結びつく原理が備わっていきます。競争相手に勝つとか負けることが相対的にどうでもいいことになります。

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