親と子の思いの違い

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DMで学校案内書を発送しました。
受け取った人から少し雰囲気の違う電話連絡を受けました。
そこで感じたことです。

母親が宛名の郵送物を受け取りました。
母は亡くなっており、不登校情報センターからこのようなものが母に送られてきたのに、割り切れないもの、違和感を持ったようなのです。
その方は下に弟がいて、DMの受取人の娘さんに当たります。
母に対して批判的な感情があるようで、詳しくは語りませんが“虐待”ということも口にされました。「とくに弟に対して」強かったようで、弟は中退をされたといいます。
その母が不登校情報センターというNPO法人に連絡をしていたというのが、なんとなくおかしい、そんな母ではないと感じたようなのです。

私はここに母と子、親と子どもの思いのすれ違いを、子どもの側からの違和感として聞いたように思います。
母親はおそらくは“善意で”子どもによかれと思って躾や子育てをしてきたのでしょう。しかし、それは子どもにとっては親の思いとは違っていた、“虐待”と思われるものもあった、そういう状況です。
親子の意見や感じ方が違うときは、子どもの思いを優先して確かめていかなくてはなりません。子どもは未熟で物事をよく知らないという判断では逆に間違えてしまいます。よく聞く耳を持つのがそのために大事です。
私はこのことを『ひきこもり:当事者と家族の出口』(子どもの未来社・寺小屋新書、2006年)で書きました。

この状況は親と子の間だけではなく、その後で親世代と子ども世代の間で広く生じていると気づきました。「そんなことでは生きていけない」と親世代はよく言います。「そんなことでは生きていけない」のは親世代のやり方のほうかもしれないのです。時代の大きな変わり目では大事にしようとする価値観が世代間でも大きく違うことになるのでしょう。
「何かあったら連絡をください」と言ってその方とは電話を終えました。何か心残りのする電話でした。

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