「東京都ひきこもり等の若者支援プログラム普及・定着事業」として、ときどき不登校情報センターにも案内が送られてきます。それ自体は普通のことなのですが、送り主は「東京都 青少年・治安対策本部 総合対策部 青少年課 若年者対策係」です。
ギョッとするというか、受取るたびに不快な気持ちが出てきます。何で“治安対策”なんですか! 職員の方にはあれこれ言う気はありませんが、東京都政の政治哲学が表れています。不登校や引きこもりに対して上から目線で矯正でもしようかとする押し付けがましさが表れています。そういうやり方への凹型の異議申し立てが不登校であり引きこもりでもあるのです。
そんなことを感じて数年が過ぎました。ところがそれを超えそうな暗雲が大阪あたりに発生しました。昨年末の大阪府知事、大阪市長選挙で大阪維新の会の候補者が勝利しました。時代の閉塞感と2年前の総選挙の勝利で成立した民主党政権とそれへの失望が大阪維新の会の勝利の背景にあると思います。
私には政治向きのことに立ち入ってあれこれいうほどのものはありません。しかし、大阪維新の会が教育委員会の範囲に入って、教育行政に介入する姿勢を聞いて事態は東京都の“治安対策”レベルを超えるかもしれないと懸念しています。これには文部科学省も法律違反を指摘しているところです。
大阪維新の会は、教育行政が政治から独立している制度を改革という名の破壊をめざしているのです。教育を政治行政から独立させてきたのは民主主義の蓄積を示すものです。それがときどき破られていることは承知していますが、頭から不要にされ消滅させるのは前近代的です。復古的・反動的というしかありません。
この姿勢が、不登校は許されないから行政的に対処するとか、引きこもりは治安対策であるとつながるのです。引きこもりを治安対策とする石原慎太郎東京都知事が戸塚ヨットスクールの応援者であることは偶然ではありません。戸塚ヨットスクールの実践とは、人間の自然な感情や納得を後回しにした特定価値観に基づく強制的な矯正方法になるからです。
大阪維新の会に、何かの改革を期待する人に考えていただきたいのです。強いことを求めるだけではなく、どのような強さを主張し、実現しようとしているのかをよく見極めていただきたいです。
不登校を押さえ込むことによりなくす方法、引きこもりを治安対策にして解消するような方法が普通になるような日本は、民主主義から大きく後退します。前近代的な政治体制に近いものを引き寄せようとしているのです。それはどこかの外国の話ではありません。